戦後の和歌山市(昭和33年資料修正)
昭和22年第三回修正測図昭和33年資料修正(※)(行政区画)1:25,000地形図「和歌山」
和歌山市内も昭和20年7月空襲を受けた。このため、和歌山城は崩壊、市街地は焼け野原になったという。
昔、高校の世界史の先生が授業中、終戦になり和歌山に戻った時の様子をこう語っている。
和歌山駅に着いたら、そこから和歌山市駅が見えた。途中に見えるものと言えば、丸正百貨店だけだった。
体験者が語る実に貴重なお話だった。
それにしても、なぜ私は世界史の時間に、この話を聞くことが出来んだろう…。
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@:和歌山線 A:南海鉄道 B:和歌山鉄道 C:南海加太線(和歌山市〜北島間廃止) D:路面電車 F:紀勢西線 G:阪和線
資料修正について
昭和33年に発行されたものだけど、行政区画(市町村境界線)の変更を行っているだけで、道路・建物等は昭和22年修正測図のものと変わりない。だから、戦後間もないころのものと考えて良いんだ。
●和歌山市に合併した町村●
S15.02.01 湊村
野崎村
三田村S15.04.01 紀三井寺町 S17.07.01 松江村
木本村
貴志村
楠見村
S30.01.01 西和佐村
岡崎村S31.09.01 西脇町
和佐村
安原村
西山東村
東山東村
地形図で見る空襲被害
上の地形図を見ると、昭和9年の地形図と比べて、なんだかやけに白い…。なんで白いのか?これは、昭和20年に和歌山大空襲があって、この辺りが焼け野原となって建物が無くなったからなんだ。
で、さっきの世界史の先生の話。丸正百貨店は地元で創業した昔ながらの百貨店。その丸正百貨店のところに●をつけてみた。東和歌山駅と和歌山市駅とを結ぶ線上に丸正百貨店があるのがよくわかる。戦後2年経った地形図で多少は建物も出来ていると考えれば、東和歌山駅から和歌山市駅が見えたと言う、先生の話しも裏付けられる。
具体的には、この空襲で(当時の)市内の68%27,000戸が焼失。ぶらくり丁(後述)も全焼したそうだ。建城以来何とか持ちこたえていた和歌山城も一発で崩壊したと言う。(老朽化で城内は立ち入り禁止になっていたそうだ:上述の世界史の先生談)。その和歌山城は昭和33年に再建されている。
それにしても、昭和13年に建てられた和歌山県庁が今も現存するということはそこだけはうまい具合に戦災から避けられたみたいですね…。
- 南海電鉄本線(A)
昭和19年に関西急行鉄道と合併して近鉄になったけど、昭和22年に再び分離して南海電気鉄道になった。- 紀勢西線(F)
阪和線が国有化されてからも、この時代に南海電鉄本線は白浜や新宮に向けて準急の直通列車を走らせていた。しかも、ディーゼル列車で!(この雰囲気が全然イメージできない)- 阪和線(G)
阪和電気鉄道は昭和15年に南海鉄道に吸収合併された後、昭和19年に国有化されている。- 和歌山線(@)
昭和10年に紀伊中ノ島駅をつくって阪和線との乗換えができるようになった。- 和歌山鉄道(B)
昭和19年に電化されている。- 和歌山市〜北島(C)
和歌山市から加太に向かうこの鉄道は南海に属していた。特に、和歌山市から紀ノ川対岸にある北島までは、実は昭和30年に廃止されている。
この頃の和歌山についての紹介です。
青岸の謎
紀ノ川の河口に存在するこの場所は周りを海で囲まれ、かつては辿り着くためには2kmにわたって両側に海が迫っている一本道を通らなければならなかった。こんな離れ小島みたいな地形ができた背景について考える。