高度成長期の和歌山市(昭和42年改測)
昭和42年改測1:25,000地形図「和歌山」
昭和43年に東和歌山駅に、そして昭和48年には和歌山市駅に今のステーションビルが建つ。この地形図は昭和42年のものだから、これらステーションビルが無い時代のものということになる。東和歌山駅の東側なんか、すぐ横に田んぼが広がっている!今の地図記号でもって、駅前の田んぼを描いているから驚きも大きい。昔の地図記号だと、「昔の事」で片付けられてしまうんだけどね。
今のステーションビルが建つ前って、地元の人達はどんな風に駅を利用していたんだろう?きっと、今とは全然違うはずだ。
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@:和歌山線 A:南海電鉄本線 B:南海貴志川線 D:路面電車 F:紀勢本線 G:阪和線 H:南海和歌山港線
●和歌山市に合併した町村●
S33.04.01 有功村
直川村
川永村
小倉村
S33.07.01 加太町 S34.01.01 山口村 S34.04.01 紀伊村
町村合併
昭和34年の紀伊村の合併でもって、今の和歌山市が完成する。
ぶらくり丁について
まず、和歌山市の市街地にある繁華街・「ぶらくり丁」の説明から…(位置は平成10年の地図で確認してください)。このけったいな名前は、昔、店頭に商品を吊り下げて販売していたことに由来する。“ぶらくり”は「吊り下げる」の方言(和歌山弁?)だそうだ(←私は使ったことが無いし、使ってるのを聞いたことが無い)。あと、和歌山では丁は“ちょう”と読み、町を“まち”と読んで使い分けていたそうだ。だから、本町は“ほんまち”となり、“ほんちょう”とは言わないことになる。
ぶらくり丁にあった大型店舗は丸正百貨店だけだったが昭和40年代に入って全国展開(?)していた百貨店やスーパーが立て続けにオープンした。(個人的にはニチイを良く利用してたよな。8階まで全て店舗、それより上はスポーツ施設みたいなもの無かったっけ?)
●ぶらくり丁に出店した大型量販店●
丸正百貨店 S45 ジャスコ和歌山店 S46 大丸百貨店 S48 ニチイ和歌山ショッピングセンター
これら店舗を目当てにかつては泉南の人もやってきたそうだ(ターゲットにしていると聞いたことがある)。ちなみに、これら店舗は全てぶらくり丁から撤退している…。
和歌山県立医科大学附属病院
昭和29年に開院した大学病院。略して「和医大(わいだい:イントネーション注意)」と地元の人は呼んでいる。場所はお城の近くにあった。「公園前」バス停の左上にある建造物の上に小さく病院の地図記号があるんだけど、わかるかなぁ〜。
平日は東和歌山駅や和歌山市駅から路面電車(廃止後はバス)を使い通院する患者が大勢いたんだろう。そんな人達の多くは、帰りにぶらくり丁に寄ってショッピング、晩のおかずも買って電車に乗って帰っていたんだよな。
(最近、電車にめいいっぱい食料品買って帰る方、見かけなくなりましたね。)
「病院前」について
(大正時代のところでも触れたけど)日本赤十字病院の前にある路面電車(D)の駅名が「病院前」になっている。コレ、何も省略していなくて、正式名称も「病院前」だった。「病院=日本赤十字病院」という暗黙の了解があったというワケ。
ちなみに、和医大の最寄りの駅は「公園前」だった。どちらの病院に行くにしても、初めて診てもらう人は戸惑うのとちゃうかなぁ?
路面電車廃止後も、そこに停まるバスの停留所の名前は「病院前」だった。現在では「日赤和歌山医療センター前」という長ったらしい名前になっている。
- 和歌山線(@)
和歌山線の東和歌山駅乗り入れGが昭和36年に実現している。- 紀勢本線(←紀勢西線)(F)
昭和34年に西と東がくっついて紀伊半島をぐるッと回る鉄道ができている。- 南海貴志川線(←和歌山鉄道)(B)
昭和36年に南海線になる。- 南海和歌山港支線(H)
昭和31年に開通。水軒まで開通するのは昭和46年のこと。
この頃の和歌山のトピックを紹介します。
和歌山民衆駅の誕生
昭和43年、現在の和歌山の顔のひとつ、和歌山ステーションビルが完成するまでを追う。それに合わせて駅構内、駅前広場も変貌している。